通常、「検索エンジン」といえばGoogleを指す時代です。ごく一部の専門分野を除けば、世界中の市場を支配・浸透しているからです。
買ったばかりのパソコンのトップ画面が自動的にYahooとなるなどの戦略で、検索エンジンをあまり使わない層は、Yahooの利用率が高いものの、顧客満足度の違いは歴然で、どう考えても、いろいろと調べ物をするには、Googleで複数ワードで検索をかけるのが一番効率がいいのです。Yahooはディレクトリ型エンジンなので、登録情報が少ないのが絶対的な弱点となり、この弱点は時間の経緯と共にどんどん顕著化します。
ただし、この将来はあくまで将来であり、日本市場は先進国とは思えないほど、遅れて現実を受け入れる傾向にあります。我々は過去にも類似経験をしています。
'90年代初め、コンピュータといえば“国民機”という異名を持ったNEC製PC-98001シリーズの事を指していました。そのシェアは90%を超える圧倒的でした。それが、IBM−PC互換のDOS/V規格が出現、徐々に“国民機”のシェアは縮小、その後、Windows95の発売以降は、“国民機”は姿を消しNECでさえも国際標準機を販売するようになりました。
しかし、DOS/Vが出現した当初は、日本市場の反応は冷ややかでした。国際標準であるDOS/V機を購入するのは一部のマニア層という状態が数年続いたのです。
この当時、私はコンピュータの神(=Metal-T-H)に任されて、所在地をアメリカとする無数のパソコン販売会社・無数の専門検索エンジン会社の経営に関わっていたので、「アメリカ市場の動向から考えても、“国民機”の終焉は時間の問題だ」と日本の経営者たちに説き、取引先や子会社にはDOS/V機を勧めていました。
しかし、その反応は芳しくありませんでした。時代遅れの“国民機”を嬉々として使う人々が、意外なほど多かったのです。
一太郎とWORDのシェア争いも、似たような経過を辿りました。
つまり、日本市場は一度ディファクト・スタンダード(事実上の寡占標準)となった商品やサービスに関しては、盲目的な信頼感を置く傾向がある、ということです(各グループ代表者は「D」からマーケティングにおける日本市場の特徴としてこのことを承知しているはずです)。
そのディファクト・スタンダードが時代遅れになっても、しばらくの間、その神通力は薄れません。その法則を無視して、性急に新しい規格や新標準をPRしても、飛びつくのはマニア層だけです。ビジネスの鉄則は、売れる時期に売れる商品を揃える事です。特に、現実主義者の 「D」 の流れを汲む厳しい要求の企業や経営者なら、どんなに時代遅れの商品でも、その需要があるうちは、それに対応しなくては成績に関係なく能力なしのレッテルを貼られるでしょう。
現在の日本の検索エンジン市場を眺めると、ディファクト・スタンダードは間違いなくYahooです。日本市場で広告・販売するなら、Yahoo対策を抜きには語れないのです。
上記のような経験や 「D」 の教えから、私は短期間に日本国内市場でYahoo!JAPANの牙城が崩れることは無いと確信しています。しかし、長期的には逆です。いずれGoogleはYahooの弱点を嘲笑うように日本市場を征服するでしょう。
検索エンジンを巡るシェア争いは、Microsoft社のMNSも含め、短期的には予想外の混沌が続く(中期的にはGoogle)、と考えて下さい。
また、Yahooは、使用するロボットやエンジンの傾向が安定しない、という絶対的な弱みを持っています。彼らがどんなに力を持っている時期でも、彼らを信頼し、彼らの評価を獲得しようとするのは時間的・資金的リスクが高い、というわけです。同時に顧客にとっても、Yahooは「システマティックに使用できるエンジン」というより、「変り種エンジン」、であり、ビジネスライクに、また忙しいときなどには使えないものです。
検索エンジンはいまや競争だけでなく、棲み分けの時代に移行しつつあるのも確かなのです。
さらに、検索エンジンが顧客の願望を満たさなければならないとすれば、誰を顧客として最優先するのか、また顧客は検索エンジンの経営にどこまで食い込んでいるのか、もっと極論を言うと、誰も止められないような怪物的なカリスマのコトバが人のモチベーションを高めるような場合、そのコトバを発信する人によって行なわれる言論コントロールやメディア・コントロールが「悪」であるのかどうかすら、議論の余地のある問題で、そうした問題に決断を下すのは「雲上人」や「殿上人」、または「神」でしょう。
/井原
- 2008/03/10(月) 12:12:00|
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